1.古代エジプト女性レリーフ 2.左馬 3.北野天神・獅子台座梅拓本 4.仏足石 5.千のほとけ 6.若冲拓画 7.インド・サルナート 8.飛鳥祝戸観音 9.岩駒の虎 10.東大寺拓本展 11.東大寺南大門石獅子台座 12.東大寺大仏殿八角燈籠 13.鳥獣戯画拓本 14民芸と拓本 |
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画像碑・石仏や文様 |
白と黒の美の世界に魅せられた拓本家藪田夏秋の四五年にわたる拓本人生で
採った千枚以上の拓本から名品を順次紹介。
This page introduces a masterpiece every month from 1000 or more sheets
of Takuhon selected from
the world of Takuhon created over a 40 year period by the Takuhon master,
Kasyu Yabuta, These Takuhon capture the world of black and white beauty!
河井寛次郎邸にはいつも「泰山金剛経」拓本掛軸が掛けてありました。また柳宗悦の日本民芸館にも拓本が良くかかっていました。 会津八一は拓本を美ととらえた最初の人です!壽岳文章は多くの私の拓本を購入いただきました❣ | |
愛知県蓬莱寺の棟方志功原画梵鐘拓本 |
信州馬頭観音拓本 |
東大寺大仏蓮弁二十二菩薩拓本 |
平等院梵鐘天女拓本 |
我が家には「鳥獣戯画の弓を持つ兎図拓本」があります。これは40年以上前、北野天満宮で家内が採ったものです。採拓会があり、神社の許可を得て、不在の私の代わりに行って採ったものです。碑がどこにあって、どういう碑かは忘却の彼方! ということで天満宮に行き、神官から親切に現場まで行き教えていただきました。微妙な場所にあるため所在場所は伏せておきます。またこれは碑の裏面に当たります。表面の写真は掲載できません。裏面の文字にあるように、徳富蘇峰の碑ではあります。蘇峰は明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストで、日本を導いた一人でもあります。いわゆる民主主義者から国家主義者に変節した人でもありますが、そう簡単には評価を下せない巨人でもありました。松本清張さんも一目置いていた方です。家内が聞いた話では、この碑は同志社大学の馬術部も関係あるらしい?と言っていましたが、確かに同志社大学創立の時から、新島出を助けたそうで、哲学の路近くの同志社大学墓地にも蘇峰のお墓があります。弟は「不如帰」の徳富蘆花! 京都・北野天満宮には相当数の碑があります。 なかでも旧社務所前にある「宋紫石・竹図画像碑」は有名です。江戸時代の画家であった宋紫石は日本人ですが、清朝の宋紫岩の弟子だったため宋紫石と改めたようです。山水・花鳥の絵が多く残っていますが、素晴らしい絵だと思います。酒井抱一や司馬江漢とも関係があったようです。この拓本も半世紀以上前採択したものです。今は苔むして採拓は無理なようです!(2023.03.25) |
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12. 東大寺大仏殿八角燈籠火袋・音声菩薩拓本 2019年
かって私が採拓した音声菩薩が大英博物館に展示されるとのこと、うれしいですね。一緒に拓本も展示されたらいいのですが?上の拓本と実物をご覧になると、実物のリアルな良さと、拓本の持つそぎ落とされたシンプルな良さが比較できます。拓本には清々しさを感じるのは私だけでしょうか? (2019.6.22) ←朝日新聞190611 |
11. 東大寺南大門石獅子台座拓本 1973年
(上)東大寺南大門石獅子西方台座西面鹿拓本・(下)北面牡丹拓本 | ||
石獅子西方台座西面図 | 石獅子西方台座北面図 | |
重要文化財・東大寺南大門石獅子台座の鹿と牡丹拓本。この拓本は1973年から1980年にかけて行われた東大寺大仏殿昭和大修理のおり、依頼を受けて私が採拓したものです。当時金網に入ったときは鳩の死骸があったりしましたが、今のような観光客もなく、西方の石獅子基壇の羽目石の四面を採拓しました。その中、比較的模様が残っていたのがこの二つです。なお採拓にあたっては細心の注意を払い、傷みや汚れを出さないで採りました。今では調査のためでも直接触れないとのことなので、貴重な体験をさせていただきました。 なおいただいた資料では、研究成果として材質は中国浙江省寧波市の梅園石ではと言われています。また知人の調査に参加した西村金造・大造さんによると、中国で荒削りのあと持ち込まれたのではないか、また他の方も日本にきた中国の石工の手で完成したのではなかろうかと言われています。その石工が伊行末かどうかは書かれていません。この南大門は中世初期東大寺を復興した重源の勧進によるものです(2071.7.14) |
近鉄百貨店の当時のチラシ | 拓本展展示・八角燈籠の四面を立体に採り、現物があるように見せたものです。このように拓本を立体化し、展示したのは私が初めてだと思います。 |
大仏蓮弁に張り付いて採拓、暗がりで懐中電灯頼りでした。 |
数年前の朝日新聞夕刊文化欄「東大寺・・・」の講座の記事、今回第222世別当に狭川普門さんが就任されるのに合わせて、9日に東大寺で行われた講座では狭川宗玄長老と鈴木嘉吉さんの対談、なんと狭川さんは95歳でお元気です。その中で大仏殿昭和大修理のお話、私にとっても懐かしく有意義な時期でした。たまたま最近書類を整理してた中に当時の近鉄百貨店のチラシが見つかり時代を感じていたところでした。この拓本展の拓本採拓を担当し、東京や大阪、四国などの催事にも帯同しました。狭川さんとは何回も打ち合わせをし、また今回別当になられる普門さん、当時はまだ青年僧でしたが、催事場で一緒に解説したりしていました。別当就任おめでとうございます。(2016.7.7) |
京都清水寺山門下にある石灯籠に彫られた虎は岸駒( がんく)作、江戸時代中期から後期の絵師で虎を描かしたら当代一といわれました(自拓)。 現在碑の画像は見にくく、拓本で当時の岩駒の虎が蘇ります。右端の竹の画像がはみ出して彫刻されていたので、表装も柱を少しカットしました。 |
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奈良県明日香村は古代遺跡の宝庫ですが、石舞台から少し行った祝戸という集落に無住の専称寺という古いお寺があり、如意輪観音石仏が祀られ信仰されています。1965年に鎌倉時代前期の石仏であることがわかりました。花崗岩の半肉彫石仏で、特に拓本に採るとその素晴らしさが引き立ちます。いつもは祀られているので全体が見られませんが、今から40年以上前に許可を得て、仏具やお飾りを外して採拓させていただきました。大きさは60×48㎝です。 |
1985年今から28年前訪れたインド、忘却の前に記録にとどめておくことにしました。採拓許可をインド政府に出したのですがなかなか返事がなく、見切り発車で旅たちました。旅行記のメインの記事は「掛軸と屏風」に掲載しておりますが、ここではやっととれた拓本の話です。 昭和60年12月25日インドについた私たち、といっても三人はカルカッタを後にサルナートに参りました。ここはインド4大聖地の一つ釈迦が初めて説法をしたところで、日本では鹿野苑と言われています。アショカ王が3世紀に建てたストゥーパの近くの寺院跡と思われるところにある石片を採拓。青い服が私で、赤い服が同行の健二さん。その奥にはガイドの方。周りにはインド人が見守っています。取り終えるのを見計ったように管理人が拓本を取り上げてしまいました。びっくりしてガイドを見ると、彼についていくようにと言われて建物の陰に入ると、お金を請求されました。一種のわいろなのでしょうね。しょうがないのでいくばくかのルピーを渡しました。日本円にすれば千円以内だったと記憶しています。とういことで無事取り戻しました。 |
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最近のサルナートを写真で見ると完全に整地されきれいになっていました。今だったら採れないでしょうね。(2014.2.2) |
江戸時代の奇想の画家:伊藤若冲は極彩色の絵を描く傍ら「墨拓版画」といわれる版画をつくっています。これは拓本の採拓と同じ方法で木版を摺ります。現在は京都の版画版元「芸艸堂」(うんそうどう)で摺られています。さて芸艸堂の名前はとっても読みにくいですね。これは富岡鉄斎の命名で、みかん科の多年草:芸艸からきているとか。私はてっきり奈良時代の最初の図書館「艸亭」(うんてい)からきていると思っていました。それにしても我が家のすぐ近くに住んでいた鉄斎さんは、我が家のお隣の虎屋さんのために虎描いたり、木版元の命名したり忙しい方です。(2014.12.12) |
5. 千のほとけと 2013年
ここで紹介する拓本2013年10月29日から11月3日まで 東京・銀座・鳩居堂画廊で開催した展覧会の作品です。
【拓 仏】【 頭塔石仏拓本と拓仏】 |
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【今宮神社四面仏 |
釈迦入減の後仏教は大いに隆盛し、釈迦を慕って各地に記念物が立てられました。しかし仏となった釈迦の姿を表現することは当時の人々の意ではなく、釈迦の代わりに菩提樹を当てたりしました。また釈迦が訪れた場所ではその足跡を描くことによって、釈迦の姿の代わりとしました。それが仏足石と言われるもので、そこには仏を証明する色々な模様が描かれています。日本にも天平時代に伝わったものが今日薬師寺に残っています。(この仏足石の傍らにある碑が仏足石歌碑でその拓本を夏拓秋装展ⅲで展示)。この拓本は京都の北の真教寺にある仏足石です。不思議なことに仏足石は天平以来殆ど作られず江戸時代になって突然復活しました。これにはいろいろ理由があるでしょうが、たぶん平安以降の仏教の様変わりによるのでしょう。観音信仰、阿弥陀信仰、密教の流行が釈迦の足を押し退けたといってよいでしょう。しかしどういった風の吹き回しか江戸時代に復活し、以後今日まで各地に多くの仏足石がたてられ、今も立てられています。 仏足石の採拓はとっても楽です。ほとんどが横になっており、おまけに小さいのでやりやすい対象物です。(2005.11.1) |
北野天満宮の大鳥居の両側にある狛犬ならぬ獅子の台座に浮き彫りに彫られた梅は立派なものです。若いとき、天満宮のお許しを得て採拓しました。向かって左の台座の正面の絵と側面の絵を採って屏風に仕立てました。実際の台座では別々にしか見られないものが、屏風にして一つの絵に仕立てられました。これも拓本の効用の一つと言えます。大きいので屏風の裏にも張り込みました。 (2020.5.5) |
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中国には馬を彫刻した画像石は結構ありますが、日本では案外少ないようです。その中で最高傑作はこの左馬ではないでしょうか。平安時代の作と言い伝えられていますが、東大寺南大門の狛犬や三重県新大仏寺台座の彫刻をした宋人石工の作品ではないかと思われます。馬を愛した中国人の手で流動感あふれる姿に彫られています。さてこの画像石は京都南部に広がるハイテク都市の手前にある井手の山奥にあります。かっては俊成や貫之、小町の歌に読まれた井手の玉水という、清らかな水が湧き出る土地でありました。山道の谷川に人目も引かず転がっています。たぶん山道の山側にたててあったものが、いつの頃か洪水で転落し、おまけにうつむきになってしまったのです。少し幸いなことに、別の石の上にのっているので、下の土を掘り、体を中に入れて、懐中電灯で照らしながら採った拓本です。約1㍍ほどあり、下向きですから、相当の労力と熟練が必要でした。勿論若き日の採拓でした。転落する前左馬と言われ、近在の水商売の方の信仰を集めたそうです。隠れた馬も拓本でよみがえりました。 (2002.3.1) |
1. 古代エジプト女性レリーフ断片立体拓本(三角屏風)
30年前に古代エジプトのレリーフ断片(模刻)を立体拓本して、三角形の屏風に仕立てて、個展に出品。義理の兄が購入してくれました。今年六月兄は亡くなり、この作品は里帰り!実はこの作品をすっかり忘れていました。写真も撮っていませんでした。日の目をみてちょっとうれしいですね。(2020.12.24) |
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立体拓本の採り方は、対象物に紙を貼り付けます。その上にCMCというセルローズを塗って、もう一枚張り、またCMC塗って、その上にもう一枚張り込み、数枚張り込んだ上に墨を打ち込んでいきます。その後乾かした後、対象物からポコッと剥がします。剥がせるのはCMCという乾燥すれば粘着が薄れる性質を利用しました。この和紙を張り込む方法は嵯峨面からヒントを得ました。 ここからが問題です。このままでは一時的には凹凸ができていますが、時間がたち湿度を含んでくるとフニャフニャになります。そこで内部には古い和紙細かく切って、詰めて形を保ちました。なので30年経っても形を保ってくれています。これを応用してかって東大寺展で大仏殿前・灯篭の音声菩薩を紺紙金泥拓本を採り、灯篭の形のして展示しました。よくやれたものです。今だったらできないうね。 |