24 真夏の採拓

拓本西新井



先日東京の足立区で採拓をしました。これって無謀でした。最初の日が雨でできず、二日後に延期したのですが、曇りの予報だったのに、カンカン照りの中での採拓。碑が寝ていて、日陰もなく、碑石は数日の日照りで熱く、目玉焼きができそう。六尺全紙いっぱいの大きさで、碑面は歪曲していて、彫りの浅い文字がぎっしり彫られています。スプレー二杯分くらいの水で止めて、採拓場所以外は新聞紙で覆っての採拓、しかし水分が飛んでしまって墨がのりません。
汗が目に入り痛く、うつむく眼鏡にも溜り、頭もボーと・・・ということで三枚で中止としました。秋に再挑戦です。(2017.0728)











23 
道元・只管打坐碑 再び

 只管打座碑  道元碑採拓1  道元碑採拓2
鎌倉逍遥ⅱのおり、北鎌倉からトンネルを通ると、鶴岡八幡宮の横に出ます。この道沿いに建つ巨大な碑は道元48歳(1247)の折、鎌倉幕府に請われて当地に、それを記念して建てられた碑があります。この日4月29日快晴・・・・奇しくも今から14年前同じ日今日のような快晴の中、永平寺に頼まれて採拓しました。足場を組んで、多くの人に手伝ってもらっての採拓でした。上部は風が強いのでシートを張りました。そしてこの採拓記の1が「道元碑採拓」。拓本を通して鎌倉との縁を感じました。左端は2017.4.29で右二点は2003.4.29. 
 「只管打座」 永平寺78世貫首・宮崎奕保(えきほ)老師の書。「しかんだざ」意味は「ただひたすらに座禅すること」  (2017.5.5)


22 なまず拓本なまず


イギリスのロイヤルアカデミー会員である版画家レベッカさんの依頼で、京都大徳寺の西にある今宮神社摂社・宗像社の石基壇に薄肉彫りで彫られた鯰の画像を採拓しました。採拓工程を撮影し、版画と拓本の関係をロイヤルアカデミーで発表されるそうです。
冬の採拓は大変です。画仙紙を水で止め、ある程度乾燥してから採拓するため、零度近い時期は水が凍って紙が対象物の石に引っ付き剝れなくなります。また拓本墨も温度が低いと発色しません。
今回は2時間以上かけて墨を温め、熱湯をスプレーに入れて出かけました。またここは位置が低いので、土の上に防水紙を敷き、しゃがんで採拓しました。無事に撮影でき、イギリスからこのために来られたので安心しました。拓本についての知識がワールドに広がればうれしい限りです。
なお今宮神社には特別に許可を頂き感謝いたします。それにしても京都芸大にも留学しておられて、日本語で会話ができて良かったです。


21 古里や・・・芭蕉句碑 

 芭蕉拓本掛軸   古里や臍のをに泣としのくれ

寛永21年(1644)、伊賀市生誕。京都の北村季吟に俳諧を学び、のち俳諧師として生きるために江戸へ出、その後日本一有名な俳諧師となりました。句碑の数は江戸時代から数知れず建てられてきました。俳句はいまや海外でもショートポエムとして流行る時代です。
この句は貞享四年(1687)芭蕉四十四歳の作。日本では臍の緒は子供の生誕の日付などを記し保管する風習があります。芭蕉は、母親の死去の折、兄松尾半左衛門から自らの臍の緒を見せられ、母を想った句です。
この句は今から40年以上前に生誕の家の前の碑を採拓したもので、それからまた何十年後に掛軸に仕立てました。12月になるとこの句を思い出します。
 芭蕉生家

20 月心寺採拓会

 芭蕉  月心寺碑

平成27年9月21日に京都と大津の境にある逢坂の関の月心寺で採拓。
左は「芭蕉碑」採拓、右は「竹内留村句碑」採拓。
参加者は東京や名古屋、又生まれて初めて採拓を観た人もあり、無事終了。お昼は秋の味覚いっぱいの精進料理を素敵なお庭を拝見しながらいただきました。(2015.10.10)


19 高台寺梵鐘拓本

 高台寺梵鐘拓本  宮崎えきほ師  高台寺は京都東山にある臨済宗のお寺で豊臣秀吉の正室・北政所が秀吉の冥福を祈るために建てたお寺です。高台寺蒔絵も有名ですが、特に傘亭と時雨亭が伏見城から移された千利休好みの茶室(重文)として有名です。さて境内に入ったすぐのところにある梵鐘は気づく人もなくひっそりと架かっていましたが、5年前老朽化ということで新しい梵鐘に替えられ、重文の梵鐘はお蔵だそうです。
実はこの梵鐘はこのお寺の創建に関わる重要な鐘なのです。
高台寺梵鐘
鐘銘に北政所兄の木下家定が三条釜座の藤原国久に鋳造させたもので、文章は曹洞宗・弓箴善彊で末尾に慶長十一年(1606)とあることから高台寺創建時となります。
実はいまから15年前、高台寺・寺前浄因師と作家・津田三郎さんの依頼で採拓し、一つは当寺に収められ、今一つは永平寺に私が表装し寄贈されました。
この鐘が採拓されたの全く初めてのことで、大変光栄なことでした。 またこの拓本から、今までの資料の不備がわかり、随分役に立ちました。
高台寺は臨済宗ですが、銘文から曹洞宗永平寺に寄贈され、貫主宮崎奕保師に観ていただきました。かって鎌倉の鶴岡八幡宮側の巨大な「道元碑・只管打座」の字も書かれておられ、それを採拓させてもらったので御縁を感じます(この採拓記1参照)。師は2008年106歳で遷化、津田さんは2011年78歳でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
また寺前浄因師は「ゴスペル風般若心経」をプロデュースされています。作曲はベートーヴェン(第九合唱)、歌詞お釈迦様?、つのだひろがうたっていますので一度お聴きください。(2015.6.6)
 旧高台寺梵鐘  新高台寺梵鐘

18 宇治平等院梵鐘拓本

 平等院梵鐘天女拓本 平等院梵鐘天女拓本掛軸   平等院梵鐘天女拓本縦  平等院梵鐘天女拓本縦掛軸
 国宝平等院梵鐘は鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘で、「音の三井寺」、「銘の神護寺」、「姿、形の平等院」と謳われ、神護寺、園城寺(三井寺)の鐘と共に、「天下の三名鐘」、現在鐘楼にかかっているのは複製で実物は鳳翔館にあります。   今から25年以上前、複製が鋳造されたおり、採拓をさせていただきました。梵鐘の採拓はとっても難しいです。まず高い位置に釣ってあるので足場が要ります。次に湾曲していますので皺が寄りやすく、対象が金属なので紙が密着しにくいことです。しかし複製といえども寸分たがわぬ浮彫の天女を採拓できたことは拓本家冥利に尽きます。なお掛軸には古裂金襴と古更紗で仕立てました。(2015.2.2)


17 採れなくなった拓本

 瀬戸大橋碑  瀬戸大橋碑大
 瀬戸内海  明石と淡路島をつなぐ明石大橋は1998年完成、今でも世界最長のつり橋です。さて今から24年前1990年12月大成建設から明石大橋の主塔に記念碑を設置したので採拓してほしいの依頼が来ました。採拓する場合、大きさと天候が一番気になります。聞くと1m位だということで冬だから雨も大丈夫だろうということで神戸へ、そこから車で明石、着いた処はなんと海岸。「ええ~どこですか?」「海の上です」驚きました。 救命着とヘルメットかぶり、ボートで主塔へ、水深300mの会場には巨大なプラットホームができています。階段を上がって最上部に、そこに御影石の記念碑が置かれています。碑には「夢の懸け橋 盤石の礎なる 平成二年十二月 ・・・」と彫られています。
早速採拓、会場ですから猛烈な寒風です。ちじこまった手で何とか採拓。主塔はこの後1993年完成。ところが1995年1月阪神淡路大地震がおこりましたが、この碑のおかげかこの塔は盤石でした。大橋は1998年完成しました。碑は橋の足元、今も立っているのでしょうね。保守点検以外は誰も観ない碑です。拓本は関係官庁に納められました。(2015.1.1)

16 拓本とミニ掛軸つくり 一日教室   

第一部 拓本   2014年915 第2回国際木版画会議(IMC2014 9月10日~14日)サテライト事業 会場: 終了

古代中国に生まれた拓本は版画や印刷のもとになったコピー技術です。文字を愛した中国では記念碑に刻まれた文字をそのまま写し取り、鑑賞し研究し模写しました。日本にもその技術が伝えられ、特に考古学や遺物の研究に使われました。中国では拓工という職業としての拓本が今も伝わっていますが、日本では研究から始まり、趣味としての拓本、アートとしての拓本が主流となっています。拓本はとっても簡単に採れます。ぜひ挑戦ください!




第二部 ミニ掛軸つくり

15 苞竹吉田先生之碑採拓

苞竹碑拓本   苞竹碑旧

吉田苞竹先生は明治23年(1890)は山形県鶴岡市に生まれ、昭和15年(1940)没の書家。字は子貞、苞竹は号で、別号に無為庵主人・逍遙窟主人・清泉など。、比田井天来によって「東の苞竹、西の尚亭」と言わしめた。昭和3年書壇院を興しました。現在は跡を継いだ方々によって公益法人書壇院となっています。
さてその苞竹先生の旧居および書壇院が平成24年9月、都市開発により東京港区麻布台から、近くの超高層ビル群の一角の虎の門アークヒルズ千石山テラスに移転となりました。昭和18年建てられたこの巨碑は碑高4m72㎝、碑巾1m74㎝、厚さ40㎝で、碑面には漢文約900字が刻まれています。侯爵徳川義親篆並書と言われるが近藤春篁代筆であったらしい。
碑は新しい千石山に移せないので、苞竹先生生まれ故郷の鶴岡市公園に移転することになり、9月24日移転するので急遽採拓の依頼を受けました。場所が狭く足場を組めないということで、隣の駐車場に横にして採拓することになりました。ところが工事が難航、真夜中になり採拓断念。四五名のスタッフも無駄足となりました。そこで10月7日桜川市真壁の石材店に持ち込み,スタッフ二人とともに採拓。

 
 苞竹吉田先生之碑全拓  吉田苞竹邸の碑
 苞竹邸  苞竹碑新  苞竹展示
 吉田苞竹邸 東京都港区麻布台
 山形県鶴岡市鶴岡公園に移転 
   平成24年10月16日除幕
 新しい書壇院のショウウインドウに飾られた拓本軸(上部)ガラスに東京タワーが映っています。 港区千石山
 採拓仲間  会長  碑陰
 9月24日に集まったお手伝い、午前中千葉の表装教室があったので、その生徒さんも一緒。  巨碑の前の現会長と移動を指揮した会長のご主人。  碑陰の文字は横にすると採択出来ないので横たえる前に採拓。
 水洗い  紙貼  撫で
石材店に横たわる碑。表面を綺麗に洗いました。 六尺画仙紙を碑表に上部に水刷毛で貼ります。  水張りの後シュロ刷毛で布を当て撫でつけて密着させます。
 タンポ  打ち込み  上墨
 タンポに墨をつけ紙の上からたたいていきます。  二枚目から文字が入りますので、紙を充分にくいこませます。拓本用の打ち刷毛。  墨をのせていきます。墨色が変わるので墨付けは一人で最後までやります。碑が大きいのでぐるぐるまわりこみながらの採拓。6枚採り終えたときは午後も遅くなり、最後にはタンポを何千回とたたくので手が、回り込んだりしゃがんだりで足が疲労困憊です。
この日はありがたいことに微風と、日差しも弱くコンディションとしては良かったです。
採拓の行程は書壇院の方の撮影記録の一部を使わせていただきました。

なお採拓にあたっては須貝久さん、宮部君江さんが素晴らしいアシストをしてくれました。

また掛軸制作にあたっては河村卓見さんが手伝ってくれました。ありがとうございました。

なおこの拓本から 「墨拓せん装本」が生まれました。ギャラリーをご覧ください。 
採拓   軸
採拓後、継ぎ目の重なり分は白く墨が抜けている。 継ぎ目を少し重ねて裏打ちし軸に仕上げる。 



14 大山巌碑採拓

大山巌屏風   大山巌碑  碑文
 大山巌記念碑拓本屏風(四曲一双)  東京九段に立つ大山巌碑 戦前に作られたコンクリート製なので風化が激しく、表面の剥離がみられます。
 採拓風景1  採拓1  採拓2
 下から二段までは採れますが、一番上は脚立に乗らないと採れません。隣の消防署で貸していただきました。この消防署、ちょうど採り終えたくらいの時、廃止になりました。消防署の方々ありがとうございました。  画仙紙を当てて、水刷毛と噴霧器を使って伸ばしていきます。  タオルで紙を食い込ませるとともに乾かします。
 採拓風景2  墨  仕上げ
 拓墨をタンポにつけて叩いていきます。  軽くまんべんなく叩くのがコツです。  採り終えたところ。

この碑の採拓は2012年4月22日・6月24日・10月11日・2013年5月28日に行い、延べ22人の参加を得ました。特に主だった宮部君恵・村松勝美・須貝久・尾崎正道・佐藤すみ代・設楽舞・久保田茜子など各氏には採拓の拓本を提出いただきました。厚くお礼申しあげます。また採拓時一度も雨に会わず、強風も吹かず、後半には公園課に樹木も刈っていただき、いろいろ幸運にも恵まれました。
この碑の採拓許可をいただいた東京都千代田区公園課にお礼申し上げます。(2014.1.1)



13 拓版室内採拓
 

採拓1   採拓2



12 佐保川万葉歌碑

 奈良市の北を流れる佐保川は古代から詩歌に読まれる景勝地で、現在ここには数基の万葉歌碑が点在しています。盛夏の7月15日奈良市の許可を得て採拓しました。
碑   奈良歌碑  採拓 佐保川
原文: 月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨
作者: 坂上郎女(さかのうえのいらつめ)
よみ: 月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも
意味: 月がまた生まれて出てくる時の、三日月のような私の眉を掻いたからでしょうね。長くお会いできなかった恋しいあなたに会えたんですもの。
眉を掻くと、人に会えるという迷信があったそうです。
原文: 振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞
作者: 大伴家持(おおとものやかもち)
よみ: 振(ふ)り放(さ)けて、三日月見れば、一目見し、人の眉引(まよびき)き、思ほゆるかも
意味: 空を仰いで三日月を見ると、一目見たあの女(ひと)のことを思い出します。
この歌を詠んだ時、大伴家持(おおとものやかもち)はまだ16歳だったそうです。
 10名の参加でしたが、36度の高温の中の採拓は流石にこたえて、時々日陰で休みながらの採拓でした。この佐保川は桜の隠れた名所なので春に来たいものです。(2012.8.8)



11 銀座柳の碑採拓

 佐保川歌碑  
日本の中心銀座は一丁目から八丁目まであります。通り名は中央通りで、二つの首都高速に挟まれた場所。その八丁目の高速通り、ここは新橋でもありますが、そのわきに小さな公園があり道路に面して建っているのがこの「銀座柳の碑」です。1874年日本初の街路樹として桜などが銀座通りに植樹されたが埋立地で水分多く根腐れし、水分に強い柳に。しかしその後銀杏に替えられました。しかし、銀座の柳に対する思いは強く、西条八十作詞の『東京行進曲』で再び銀座通りに柳が復活しました。歌の力も侮れないですね。
さてここでの採拓は三回目で十年前はテレビの取材で採拓し放映されました。今回訪れると前の日の酔っ払いの跡があって掃除が大変でした。東京の石碑はよく小便が掛けられたり、浮浪者が寝ていたり、持ち物盗られたり大変です。
碑には西条八十の縦書きの詩と中山の作曲が並べて彫ってあります。
 佐保川歌碑拓本  佐保川歌碑採拓  
銀座柳の碑

植えてうれしい銀座の柳
江戸の名残のうすみどり
吹けよ春風紅傘日傘
けふもくるくる人通り

この辺りは露天商が出たり、人が多いので
日曜日の早朝採拓。(2011.2.1)


読売日本テレビ文化センター大森教室

藪田夏秋・拓本教室



10 英国で湿拓

英国ブラスナイト 
 イギリスの拓本は彫刻に洋紙を載せてチョークで擦って取る乾拓です。日本では考古学などで湿らせられない場合に採る方法ですが、ここではこれがブラスラビング(真鍮擦拓)として伝わっています。
この像は「Sir Robert de Bures]

右は日本で採った乾拓。釣鐘墨で擦ります。
 乾拓
 ナイト採拓

 湿拓で採りたいので、前もって用意した写真入りの採拓法と汚さないという説明書を協会のチーフに渡して了解を得ました。
左はスプレーで湿らせたところです。

左は湿拓でとった鳳凰。この方が細部まで鮮明に採れます。
 孔雀拓本
 ナイト採拓
 場所はロンドンの中心部トラファルガー広場の
St Martin-in-the-Fields Church
の地階のLondon Brass Rubbing Centre.

広場の塔(コラム)にはナポレオンを破ったネルソン提督が立っています。

採拓場所は真鍮像を移動して、同じ階のギャラリーで採りました。絵画個展を開催していた女性のアーティストお邪魔しました。

採り終えるとお昼、同じ階に大きな食堂があって、バイキングでロストビーフをいただきました。
(20110721)
 ナイト採拓ロンドン・トラファルガー広場の教会の地階で「Sir    William Fitzralph」像採拓
 この拓本はケンブリッジの
St Barnabas pressに寄贈しました。



9 大森天祖神社採拓

東京都大田区大森、JR大森駅の前の急坂の石段を上がると天祖神社があります。今回は駅にある読売・日テレ文化センター大森教室の課外授業として、この境内で採拓会をしました。 考古学発祥の地「大森貝塚」とし有名で、駅から少し東に記念公園があります。ということはJR大森駅の前のここもかっては海?。天祖神社は小高い丘の上なのでとっても見晴らしが良かったのでしょう。江戸時代の情景は浮世絵として残っています。

「天祖神社」は300年前伊勢神宮の分霊として八景坂に建てられた神社です。境内には八幡太郎鎧掛けの松があったことが浮世絵でしのばれます。

句碑は「鎌倉のよより 明るし のちの月」大野映山書 慶応二年(1866)建碑。
碑陰は「荒蘭崎八景 笠嶋夜雨 羽田帰帆 袖浦秋雨 鮫洲晴嵐 六郷夕照 池上晩鐘 大森暮雪 大井落鴈」
歌碑「片明りひそめる庭の面みれば夜ふけにすみてつきはのぼれる」臼井大翼。

 採拓

句碑採拓した受講生。真冬で寒かったですが、日当たりがよく、上手に
採れました。
 



↓句碑表
 碑 拓 
 句碑の裏の「八景詩」半分近く土に埋もれています。  句碑近くの稲荷社の石柱、寛政十二年は1801年。
 碑


 お宮
  天祖神社社殿

 碑
歌碑は倉庫の間にあり採りにくい。




8 山の辺万葉歌碑採拓

 yamanobe  taku 2010年10月17日奈良天理から桜井へと古代から続く山の辺の道、その真ん中あたりの檜原神社周辺の歌碑・句碑の拓本を採りました。15人の参加をえて、最初は私の指導拓本、その後は参加者に周辺の主に万葉歌碑を採拓してもらいました。すこし雲の出た、風のないこの日は採拓には最適、みなさん楽しく採られました。

山の辺の万葉歌碑は桜井市が1972年地元の石を使って、万葉歌を川端康成や佐藤春夫など著名な方々の揮毫で彫られ、歌の詠まれた場所に38基建てられたもので、私の主催する会も、すべての碑の拓本を採り献納することで貢献しました。あれから40年近く、今はその碑は山の辺の道の点景として溶け込んでいます。
この日は日曜ということで、ウオーキングする人で賑やかでしたか、珍しそうに採拓を眺めていかれました。

写真は井寺池にある川端康成書の古事記倭建命「やまとは くにのまほろば たたなづく 青かき 山ごもれる 大和し うるわし」と
拓本は玄賓庵滝そばの画家安田靫彦書高市皇子尊歌の「やまぶきの立ちしげみたるやましみづ くみにゆかめどみちのしらなく」」
(2011.1.1)  


7 墨液で採拓

天上大風   天上大風薄 山梨県市川大門碑林公園にある良寛「天上大風」拓本。

西安碑林で使用されている墨液を使って採拓しました。

左側が墨液拓本です。比較のため右側に油墨の拓本
を載せました。

相当濃く採拓できます。 
 天上大風逆 天上大風写り  左は墨液の拓本の裏、右は油墨の裏、墨液拓本では
裏にずいぶん通り抜け滲んでいるのがわかります。 
油墨はほとんど通り抜けません。
 天上大風墨  今回は使用画仙紙に棉連を使用しましたので、三枚重ねで採りましたが、三枚目にもうっすら滲んでいます。   墨液
一般に拓本と言えば黒々としたものを想像しますが、日本では碑を汚しますので、現在はほとんど油墨で採拓します。
また墨つけが難しく、文字の中に墨が滲み込んだり、タンポの跡が残ったりで使われません。
今回は碑を汚さないで採る方法を述べますが、初心者はまず油墨でじゅうぶん慣れてから挑戦してください。最初は汚れても
よい版木などでテストしてください。

 1. まず対象となる碑を選びます。御影石などの凹凸のない滑面の碑を選びます。凹凸や粗い石は紙が破れやすく、その穴か
   ら墨が入りますので採らないようにしてください。瓦や石仏は厳禁です。 
 2. 墨液は前もってスポンジなどにしみこませておいてください。現場で墨液を使うとこぼれたりしますので要注意です。
 3. タンポは固めのものがようようです。使用後は洗います。
 4. 厚い画仙紙(二層紙)などは二枚重ね、薄い画仙紙(単宣)などは三枚重ねで採ります。
 5. 紙貼りは、1枚ずつ碑に水でとめます。ある程度タオルで水分をとってから、二枚目、三枚目と貼ります。破れないようにし
   てください。
 6. 最後はよく乾燥するとともに、撫刷毛や棕櫚刷毛で紙面を擦るとよく密着します。この紙の乾燥が一番重要です。
   乾きが悪いと滲みますし、乾きすぎると墨がのりません。これは練習でほどよいを乾燥を会得してください。
 7. 上墨(墨付け)はタンポにつけた墨を別のタンポでよくすり合わせてならします。そして最初は軽く、薄く全体につけてください。
 8. 次はタンポを細かく叩きながら、これも満遍なくつけていきます。いっぺんに濃く採ろうと思わないで時間をかけてつけます。
 9. 紙が碑から浮くようになったらやめてください。
10. 碑に万一墨がついたら、すぐに洗ってください。

綜芸舎ではこの「西安碑林 墨液」を販売しています。→綜芸舎  


6 文学碑を採る    市川市手古奈霊堂  2010年2月21日撮影  参照:拓本の取り方

 万葉碑  採拓1 採拓2 
 1 万葉歌碑碑の所有者に採拓許可を
 とり、碑を汚したり壊さ無いことは勿論、
 周辺の環境にも配慮
 2 石碑の形も採ろうと大きめに画仙紙
  を用意。横幅は画仙紙の大きさを超
  える。一回り大きめの画仙紙がいる。
 3 周りをテープで留めた後、スプレー
  で霧を紙面にかけ中心から刷毛で伸
  ばす。
 採拓3  採拓4  採拓5
 4 水で紙を止めたところ。水はたっぷり
   吸い込ませる。
 5 タオルで石に紙を貼り付けるとともに、
   紙の水分をとる。
 6 タンポ二つに油墨をつけて、よくこすり
  合わせて、なじませた後貼った紙の上
  から軽く叩いていく。
 採拓6  採拓7 葛飾の真間の井見れば
     立ち平し
 水汲しけん 
    手古奈しおもほゆ
        
           東才子
    
      明治2年建立


          
 7 最初は薄く全体を採り、だんだん濃く
   していく。
 8 今回は文字の部分を濃く採り、石碑
   全体は薄くとる採拓法。
 


5 葉拓 拓本教室ⅱ

葉拓1 2009年10月から始まった「史迹と美術同攷会」主催の「拓本講座」ハートピア京都での教室終了しました。最終日は葉拓講座。各自が持ち寄った葉っぱを楽しみながら採りました。
参加者の中に庭師の方がおられて、とりたての葉も持ってきていただいたのですが、やはり少し押し葉状態にしないと採るにくいようでした。
またタンポは小さなものが必要で、写真のようにタンポの柄の部分で採るという技も使ってもらいました。

薄く採る方、濃く採る方、タンポのムラも気にしないで採る方など個性豊かな葉拓が完成。
葉の配置で無数の組み合わせができるので創作意欲がわきます。

来年は野外での採拓を企画したいと思っています。

葉拓2
葉拓3 銀杏の葉の方は、同時期に行った東京大森のよみうり文化センターでの拓本教室。東京ということで都のシンボル銀杏の葉を採拓。

なお大森の教室は1月は立体拓本を教えます。又2月、3月は野外での採拓会、1日参加もできますのでご参加ください。道具はお貸しします。



4 乾拓 拓本教室

釣鐘墨

4月26日より、読売・日本テレビ文化センター大森で拓本教室が開講しました。1回目は拓本の歴史の講義とタンポつくりと乾拓の実技をいたしました。出張で来ておられる青森の方を含めての少人数の出発ですが、みな熱心に受講されました。
二回目(6月28日)は講師藪田夏秋の所有する中国拓本の紹介と、平面的な拓版からの採拓をします。連続でも、一回ずつでも参加できますので、興味のある方はぜひ参加ください。詳細は次のページへ→「拓乃会」






3 和傘採拓 創作拓本軸

傘

以前大きな蓮の葉の拓本(葉拓)をしましたが、今回は「絵になる拓本展」の創作拓本として、傘を採拓してみました。

画仙紙を和傘の表面に水張りします。和傘はもちろん水に濡れても問題ありません。あまり強く押さえると破れます。

問題は傘の中心部分、ここは破って穴を開けます。くり抜いてしまうと、元に戻した時、穴がぽっかり空きますので、ちぎるだけにしておきます。

もう一つは円錐形のものに平面の物を貼るとどこかで重ねが出ますので、骨と骨の間で、わざと重ねを作ります。

墨はなるべく骨のみにつけますが、はみ出てもあまり気にしないでとります。その方が拓本という感じが出ます。

右の出来あがった作品は、別に採拓したものです。掛軸の表紙裂の柱まではみ出ているように見えますが、これは裂をくり抜いて創作したものです。(2009.1.1)
注:今年の「ひょうほゑ展」に出品予定。
蓮拓軸
傘拓本


2 亮天功石額採拓

南禅寺のおなじみの景観、煉瓦作りの構造物は水路閣といわれ、琵琶湖の水を京都に引いた疎水の水路の一部分で、1890年完成、118年にもわたり水が京都に流れ込んでいます。
最近一部分に亀裂が見つかったということで修理するとのこと。「篤姫」が亡くなって7年後に完成してるわけですから日本人ってすごいですね。
さてこの水を使って日本最初の水力発電所が
1891年完成し電力を京都市内に供給したわけですが、何と今も現役で動いているのにはご苦労様と言わざるを得ません。
数十年前この発電所の建物を修理するとき、ある依頼が私の方にもたらされました。それは建物正面の上部にある大きな石彫の拓本を採るというものでした。場所は南禅寺の隣、蹴上。足場が組まれた上での作業、文字は「亮天功」(てんこうをたすく)・・は中国の古代の書経にある瞬帝の言葉で、書は久邇宮邦彦殿下。

この建物は一時解体する予定でしたが、この石額のお陰で保存されたとか。おとりした拓本は蹴上の資料館に保存されました。


なお「天」のみテスト採拓して残しておきましたので、今回公開します。(2008.9.21)

南禅寺 発電所 発電所2
発電所3 発電所天 天軸


1 道元碑採拓   

 これは2003年4月29日神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮横にあります道元碑を藪田夏秋とスタッフによる採拓の記録です。(2008.7.20)

 道元
1

「道元・只管打坐」碑

道元48歳(1247)の折、鎌倉幕府に請われて当地に。それを記念して 先日他界された宮崎奕保(えきほ)老師の書。
「しかんだざ」
意味は「ただひたすらに座禅すりこと」


私は「只管打墨」
ただひたすらにタンポの墨を敲きました。
 
道元足場   
2

足場組みたて。
高さ5m
 道元拓本1
3.

拓本試しどり 
道元拓本2 
4.

大画仙紙(6尺長)をスプレーと水刷毛のみで貼りつける。
風が強いので、回りをテント地で覆う。
一番上はすでに済んでいる。
 
 道元拓本3
5.

水張り後、タオルで密着と水分を取る。あまりとると乾いて剥がれ、水分が多いと墨がつかない。 
道元拓本4 
6.

大きなタンポに拓本用墨をつけて、よくならして貼った紙の部分に叩き込んでいく。打墨は一人でやらないと、濃淡が出るので最後まで一人で叩く。何百回叩いた。
またゆっくりしていると乾燥して剥がれてしまうので、スピードが要求される。 
道元拓本5
7.

この碑の石面は粗いので、大きなタンポでは文字が浮き出てこないので 小さなタンポで細かくたたく。
これは「打」。
道元拓本6 
8.

「管」の字の上墨が終わったところ。 
道元拓本8
9.

スタッフと記念撮影。あと男性が2名いますが映っていませんね・・・
道元副碑
10.

碑陰

ふつうは碑の裏に書かれる、碑のいわれ=銘文です。
ここでは別石に彫られています。