戻り橋 89戻り橋石柱拓本

 戻り橋  戻り橋2  






毎年京都の七夕祭りは堀川の一条戻り橋から二条城まで、七夕を飾ったり、イルミネーションで飾ったりします。
今年はNHKBSで京都の異界というタイトルで、市内の何か所を中継する番組がライブ中継されました。女性アナウンサーが立つ横に戻り橋の石柱が立ちますが、これは新しいもので、何十年前はこの拓本の形でした。この古い石柱は現在少し北の晴明神社の境内に移されています。
中継現場を見て、帰って録画を観るのもなかなかいいものです。
戻り橋3 


戻り橋 88 タジマハール

 タージ・マハール  アグラ
 王妃の墓  印度の少女
 石工  1985年12月29日アグラに到着、アグラはウッタル・プラデーーシュ州で北に180キロ行けばデリーです。古代からの都市ですが16世紀ムガール朝の首都になり、特に5代皇帝のシャー・ジャハーンの后ムムターズ・マハリの死を悲しみ、世界で最も美しい霊廟を建てました。それがタージ・マハール。地下には王と王妃の墓があり、大理石に貴石(中国の翡翠、水晶。スリランカの瑠璃、アラビアから珊瑚、アフガンからラピスラズリなど)で象嵌を施した見事なものです。今は撮影禁止だそうです。タジマハールの川を挟んだアグラ城塞、ジャハーンはその後王位を奪われここに幽閉されました。その窓からタージ・マハールが遠望できます。王は悲しみの中に亡くなりました。なおタージ・マハールを作った工匠が密かに王妃を恋慕していたことを知った王は褒美と偽って彼の両手を切ったそうです。見学した時も傍らで石工が大理石を刻んでいました。横には我々の使うような直角をだすカネテが置かれていました。少女が城壁に佇んで眺めていました。王と王妃の物語に思いをはせていたのでしょうか。(2015.12.21)


戻り橋 87 印度紀行 4 カジュラホ(カジュラーホー)

 印度花  五日目(1985年12月29日)は飛行機でカジュラホにつきました。カジュラホはベナレスから少し中央部によった小さな村ですが、1838年イギリス人によって世界に知られるようになった遺跡で、千年以上昔のヒンドゥー教寺院とジャイナ教寺院が25もあり、そこの彫られた彫刻によって世界遺産に登録されています。愛の彫刻と言われるセックス像ミトゥナと女性美を強調した女神アブサラが尖塔一面にぎっしりと彫られている姿は素晴らしい一語です。当時栄えたチャンデッラ朝が求めた性と愛に神を観た姿だと言われています。
さて見学中知り合いになったお嬢さん、とっても綺麗で、像の中から出てきたようです。もうじき結婚されるという女医さん、今は多くの子供たちと過ごしておられるでしょうか。(150101)
 
 説法  印度の女性
 印度カジュラホ  ホテル


戻り橋 86 印度紀行 3 ワラナシー(ベナレス)

 ガンジス河沐浴 四日目 我々が旅行した時代、この地はベナレスと呼ばれていましたが実際はワーラーナシーで紀元前から栄えた仏教やヒンズー教の聖地でしたが、度重なるイスラム教の支配で多くの建物は破壊されたが17世紀ころから今日の姿になりました。ここはヒンズー教徒が沐浴する場としてもっとも有名な聖地です。沐浴する場所はガンジス川西岸で、ガードと呼ばれます。沐浴は朝日に向かってする儀式なので、まだ太陽が昇らない前に細い街中を坂や階段を下りて行きます。ガンジス川に着くと、小舟に乗って沖に出ました。
 いくつもの小舟が寄って来て花やろうそくを売ります。そのほとんどが子供たちです。私は小さな子から皿に乗った灯明と、菩提樹の実でできた数珠を買い、そっと船の艫から火をつけて流しました。ガンジスの大河にゆらゆらと少しずつ離れていくとともに対岸の空が赤く染まり陽が昇ってきます。何とも荘厳です。巨大なインド、そしてガンジスの河の中、今までにない敬虔な気持の中、先ほど購入した数珠をもって祈りました。振り返って川岸を見ると多くの人がガンジスに浸かって祈っています。水に浮かんでいるのはごみではなく黄色い花です。水はそれほど汚くはありません。ガード(沐浴する場所)の端の方では煙がたなびいています。ここは火葬場です。ガンジス川(ガンガー)近くで亡くなると輪廻から解脱できるということで多くの方がここで荼毘にふされます。その灰はガンジスに流されます。ところで赤子や妊婦、蛇にかまれて死んだ人は河の中州まで運び、黄色い布にくるまれ重石をつけて流すそうです。私はかって自分が死んだらこのガンジスの源流の聖地で氷河の氷と一緒に骨を流してほしいと思いましたが、最近はやはり愛する京都がいいようです。河から街へと狭い道を行くと、両側にお土産物屋や骨董屋が並び、清水寺の参道のようでうれしくなり、とある店で象牙の観音像らしきものを購入し、今も仏壇に収まっています。(20141111)
 数珠

戻り橋 85 印度紀行2 サルナート

 仏塔 3日目はベナレスへ、ホテルに着いた後北へ10キロ行ったサルナートへ。この日も晴天春のようで桜のような花が咲いていました。
サルナートは仏教四大聖地の一つで、釈迦がブッダガヤで悟りを開いたあと、最初に説法を行った「諸転倫法の地」と言われています。四大聖地のあと二つは誕生の地ルンビニと涅槃の地クシナガルです。 
日本では鹿野苑として有名ですが訪れたときはどこにも鹿はいませんでした。公園の中心にある大塔はダーメークストゥーパ、6世紀アショカ王によって建てられた高さ43.6mある巨大仏塔です。壁面には模様が彫られていますが結構はがれていました。その一つか周りの建物のの遺品かわかりませんが、溝になったところにある石片の拓本を取りました。(「拓本」参照)
苑内にある考古博物館には数多くの遺品インドの紙幣にも刷られている四頭獅子石頭(アショカ王が建てた石柱のトップを飾ったもの)や釈迦座像があります。館内にいると結構たくさんの日本の若者がスケッチをしています。聞いてみると東京芸大の学生でここに泊まり込んでスケッチしてるとか。あれから数十年多くの方はプロの画家になっておられるでしょうか。
さて帰り際に苑内で見つけた風景。一人の聖者らしい方が若いインドの女性に何か話しています。説法でしょうか?突然2000年前に戻った気がしました。(2014.2.2)参照 拓本 サルナート採拓
 説法 

戻り橋 84 印度紀行1 カルカッタ

 インドmap  今から28年前1985年(昭和60年)12月25日印度に旅立ちました。「印度仏蹟の研究」という本の中に出てきたサンチーの遺跡とそれを取り巻くサークルに彫られた釈迦生涯のものがたりを観て拓本に採りたくなったのです。最初は5人のグループで行くはずが、カルカッタ(カルカタ)から遺跡を観ながらデカン高原を越えてボンベイ(ムンバイ)に行くコースを作ったら高くなりすぎて結局3人の旅になりました。また採拓許可は現地でなければとれないということで見切り発車となりました。
何分そうとう昔の話で鮮明に覚えている部分と印度の地に置き忘れ去った部分があって旅行案内にはなりません。HPやSNSを始めた動機もこの旅行を記録に残したかったからですが、ちょっと遅すぎましたね。思い出話としてお読みください。

1日目
大阪発~カルカッタ(現在はコルカタ)は人口500万人のメガシティー。真夜中に到着。到着する前に機内で宿泊ホテルを記載するわけだが、隣の青年が声をかけてきて、どこに泊るのですか?と聞きます。エアポートのホテルだよというと、その名前写させてください。どうして?ホテル取っていないんです。また慌ててきたので英和辞書持ってくるつもりが、別の本持ってきてしまって・・・大丈夫かいな・・その後消息を聞いてないのでどうなったのでしょうか。
 カルカッタ博物館  実は当時バックパッカーが流行りだした時代でその後もインド国内で道歩いているとリュックを背負った汚らしい服を着た若者をよく見かけました。
ところで私の入国手続きでも問題発生。ニコンのカメラを持っていたのですが、カバンにレンズと本体を外して持っていたのです。ゲートの官吏が何かまくしたてます。英語特にリスニングに弱い私ですが、どうもこのカメラをインドで売るつもりだろうと言っています。そこでカメラにレンズを装着して見せてやっと通れました。周りには印度人がいっぱい私を取り囲んでいました。飛行機からおりてゲートを通って外に出るまでは、ガイドがいないので大変、ツワーでない個人旅行の1番冷や汗の出る瞬間です。
さてガイドはとってもハンサムな青年、デリー大学をでたインテリで、何回もNHK番組の通訳もしていて、11日間楽しい旅行ができたのは彼のおかげでもありました。

二日目:カルカッタの冬は日本の春にあたり滞在中一度も雨も降らず、菜の花が咲き、蝶が飛んでいました。
この日の目玉はインド最古のインド博物館の見学。サンチーの石柱と同じものがあり、その彫刻に見入りました。
 その後ジャイナ教の寺院に詣りました。虫も殺してはいけない教え、蟻や蠅にも気をつけて境内を歩きました。

夕方一路列車でベナレスへ。(2014.1.1)
 夕日