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十二神将拓夏秋独り言ⅰ 1~43 目次
43拓本の効果に就いて 42只管打墨 41隼人石拓本 40筆神拓本 39拓画軸 38歌碑断碑 37フロッタージュ 36延暦寺宝幢院鐘拓本 35葉拓 34隼人石拓本 33井真成拓本 32モンゴルの碑拓本 31頭塔石仏拓本 30藤原定方 29高台寺梵鐘拓本 28東大寺八角灯篭竿拓本 27棟方志功鐘 26井 真成 25只管打坐 24清田拓本展 23真夏の採拓 22大唐三蔵聖教之序 21拓本満開の5月 20拓本の裏打 19いわ猿&きか猿 18アンコールワット拓本展 17伊東拓本コンクール 16青銅器鐘 15書籍紹介 14新年の決意  13拓本の講習 12訪ね碑? 11夏拓秋装展ⅱ 10フインランドから帰国 9綜芸舎HPオープン  8 IMPACT  7フインランドへ  6通産省 5大学で拓本指導  4拓乃会 3吉野山 2四大文明展 1但馬

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夏秋独り言 43 拓本の効果に就いて・・・柳 宗悦

民芸 柳宗悦は日本の民芸運動の父とよばれ、1936年には「日本民藝館」をここ東京駒場に設立。ここで先月「拓と版の美」展が開催されました。
民芸運動は1926年「日本民芸美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動です。
また別に美術の本流ではないとされてきた、版画や拓本にも「美」を見出しました。
なお民芸に対しては、柳宗悦と一緒に歩んだ和紙研究家の壽岳文章師と娘の壽岳章子師は私の師でもありました。
さてこの民芸運動の機関紙「民芸」2001年6月号に、柳宗悦の「拓の効果に就いて」という一文が掲載されていますので紹介したいと思います。実際は1934年「工藝」40号に掲載されたものです
(一部抜き出して紹介させていただきます。なお全文お読みになりたい方は日本民藝協会にお申し込みください)

「拓本というと六朝の文字が思い出される。その文字を知ったのも拓だし、また拓を見たのもその文字からである。文字が拓で伝わり、拓で文字が活かされている。(略)
だがこの意識をわれわれに与えてくれたのは拓本のお陰である。(略)
拓本は文字を別のものにする。拓で見る文字は拓であっての文字である。ここまで来るのに少なくとも四度の輪廻がある。最初は誰かが何かに文字を書く。(略)石工によって石に彫りつけられる。ここで文字が間接になり、個人から遠のいてくる。だがその角を更にとってくれるのが自然である。堅い石も長年の風雨で字体を漸次に柔らかにまた静かにさせる。これが三度目の変化である。
それをある者が拓にとる。ここで文字が四度目の甦よみがえりをやる。紙の質や墨の色や拓の打ち方でこれが色々と変わる。(略)私達は六朝の文字を見ているというより拓でこなされた文字を見ている。
(略)拓が一層美しくしている。(略)
拓本は拓本の世界を創造する。それは美を伝える独自の世界。原の書や画を間接に写すのであるから、原のものがこれでくずれるともいえるが、くずす所に拓本の新しい価値が出てくる。もしそれが精確な写しであったら拓としての生命は到って無くなるであろう。(略)
従って私達は原品で見えないものを、拓で見ることさえ出来る。拓でなくば味わえないものに逢うことが出来る。拓は物に美しさを添える。(略)拓は一つの創作物でさえある。」(2008.4.3)
1


夏秋独り言 42 只管打墨

2 3 第78世永平寺貫首 宮崎奕保(えきほ)師が1月5日亡くなられました。酒や肉を口にしない、独身を貫き、106歳で、今や珍しい老衰で亡くなられたのです。生き仏と言われた師も仏様になられました。ご冥福をお祈りします。
永平寺を開いた道元の「只管打坐」を実行し、ひたすら座禅に明け暮れ、平和を願われたとか。
さてこの「しかんだざ」をPCで入力すると「只管打座」とでてきます。パソコンがすごいのか、この言葉がすごいのかわかりませんが、最初は読めませんでした。
「夏秋独り言25」にあるように、この言葉の出会いは、4年前鎌倉の鶴岡八幡宮隣にある、5mもある道元碑を採拓したときです。
そして次の年、今度は京都高台寺梵鐘の銘文を採拓し、永平寺に収めたとき、貫首にご覧いただきました。(夏秋独り言29)
また次の年、東京の曹洞宗別院での採拓中、たまたま訪れておられたことが後でわかりました。

このように拓本はいろいろな人と巡り合わせてくれます。

また採拓のおり、石にとめた真っ白な紙に、タンポで墨を付けていく作業は、ほとんど無我の境地でやっています。大きなものになると、何百回と叩くのですから、雑念は消えて、採り終えたときはすがすがしい気分になります。
これを今わたしは 「只管打墨」 といっています。これからも精進!精進!(2008.2.6)


夏秋独り言 41 隼人石拓本ⅱ

4 今年は子年、ねずみの拓本をのせ、1年の守りとしたいと思います。
隼人石は奈良市のはずれ法蓮町にある「那富山墓」(なほやま)のお守りの石として立てられたと思われます。
石には「北」というも文字が彫られていることから、十二支の最初、北を示す「子」ネズミに間違いありませんね。
十二支から来ているのですが、どうもここでは東西南北四支のみのようです。宮内庁管轄ですから、拓本は採れません。しかしこの北が一番出来が良いようです。
十二支をお墓の守り神とする風習は古代中国からあったそうですが、特に七世紀韓国新羅(右拓本)の影響から、日本でも作られましたが、他例がないのでねづかなかったのでしょうね。
さてここは元明天皇奈保山東稜、元正天皇奈保山西稜、聖武天皇佐保山南稜、聖武天皇皇后(光明子)佐保山東稜、聖武天皇皇太子那冨山墓が集中しています。エジプトのルクソールのようですね。
この隼人石があった那冨山は皇太子基王が葬られています。
聖武天皇は724年即位し、727年には光明子との間に皇太子が生まれますが、翌年無くなります。
そのためにお墓に守り神を四方に置いたのでしょう。四支とも可愛く彫られたのはわが子をやさしく守ろうとしたのかもしれませんね。
なお隼人石は独り言34でも拓本上部を紹介。

さて 拓本ギャラリー22「山部赤人歌碑拓本」では聖武天皇の時代の歌人赤人を取り上げました。
(08.1.1)
5


夏秋独り言 40 筆神拓本

6 7 8
先日、広島の熊野、ここは筆の産地として有名ですが、本が送られてきました。
「THE 筆 (木村陽山コレクション50選&筆づくりフォーラムⅠ)」
2007年3月筆の里で展示されたコレクションとそれに合わせて行われたフォーラムの全容を掲載した図録です。パネリストは名児耶明氏や石飛博光氏で、筆についての活発な論議が行われました。
さて本書には、この筆の里に頼まれてお採りした拓本が掲載されています。
「退鋒朗毛君えい髪塚」
東京向島の長命寺にあり、亀田鵬斎の碑文、酒井抱一の画です。
ちょうど私が鳩居堂で個展をやっていた時で、午前中空いているときに採拓しました。春爛漫桜が咲き誇る日で、暑くって採りにくかった碑でした。おまけに碑の下部が地面に埋まっていて、文字が全部とれません。広島から来られた学芸員の方と一緒に、お寺からスコップを借りて、10センチほど掘って採拓、ここまで掘って採ったのは私としても初めての経験でした。
筆の里と長命寺に収められた拓本はたぶん他にはないものだと思います。私も持っていませんから貴重この上ありません。でももう一度、採拓日和にとりたいものです。採拓日和とは曇りで無風の春か秋。


夏秋独り言 39 拓画軸


9詩画軸という言葉があります。水墨画の歴史の流れの中で1400年代に現れたもので、描かれた水墨画の余白に詩を詠みこんだスタイルです。
それとはちょっと違いますが、拓本と画がコラボレートしたものがこの絵です。
古代中国の青銅器の拓本に花が描かれ、本当に花が活けられたようにかかれています。

わたしはいぜんから、なにかとコラボレートした拓本を作りたいと思っていました。それがなんと19世紀上海ですでに作られていたのです。
ショックを受けました。そこで拓画軸と命名してしまいました。

この画は大阪市立美術館で開催された「上海ー近代の美術」
(2007.9.4-10.14)の台湾故宮博物院所蔵の1品。

なおこの絵葉書をわたしに贈ってくれた画家SMに感謝です。(2007.10.21)











夏秋独り言 38 歌碑断碑

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京都の北に貴船があります。近年特に夏は川床料理で賑わいます。さてここは1400年昔浪速津から淀川、鴨川、貴船川と黄色の船でこられた玉依姫がたてられた神社=貴船神社があり、古来信仰を集めてきたところです。
平安時代和泉式部が夫の愛をつなぎとめようとここに詣で歌を詠んでいます。
さて和泉式部の歌碑のそばに建つのがこの断碑です。
「(貴船より 奥)に人住む 葛の花  いはほ」
()内が折れてしまっています。句は松尾いはほ  明治から昭和にかけて活躍した人。虚子の弟子で京大医師。
ということはそれほど遠い昔の碑ではありません。雷にでもあたったのでしょうか。
もしも誰かがこの碑の拓本を採っていれば、あらたに碑が再興できます。
公の施設が全国の碑の拓本をとってデーターベース化すれば、将来への文化遺産となります。その時は手伝いたいものです。
ところで「断碑」で思い起こすのは松本清張の同名の小説。清張が考古学に目覚めるきっかけになった小説です。
主人公の考古学者が中央学会に反旗をたて、研究成果を発表するが、志半ばで亡くなるという話は、森本六爾をモデルとし当時話題になりました。
この六爾は私の父薮田嘉一郎の生きざまと似たところがあります。京大をでるも、研究者になれず、出版社に勤めながら、民間人として多くの研究を発表し、在野学者として生涯を終えました。
この父に松本清張は興味を示し、友人となり、清張の歴史小説や論文にサゼッションしました。
いま 北九州市立松本清張記念館で行われている「特別企画展」では「断碑」が主題として取り上げられています。
(2007.8.15)敬称略


夏秋独り言 37 フロッタージュ

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「フロッタージュ(frottage)は、シュールレアリズムで用いられる技法の1つ。フランス語の 「frotter(こする)」に由来する。
木(の板)、石、硬貨など、表面がでこぼこした物の上に紙を置き、例えば、鉛筆でこすると、その表面のてこぼこが模様となって、紙に写し取られる。このような技法およびこれにより制作された作品をフロッタージュと呼ぶ」

これって拓本の乾拓と同じものですね。フランス人が中国の拓本を見て始めたのか、日本の技法から学んだかはわかりません。またイギリスにはブラスラビングという、真鍮の騎士像を写し取る技法もありますから、それから学んだかもしれません。

さて今年のイタリアのヴェネツィア・ビエンナーレの日本館はこのフロッタージュで埋め尽くされました。作者は岡部昌生、彼は広島港にある旧国鉄宇品駅のプラットホームを擦りとった1,400点ものフロッタージュを壁一面に展示し、中央には被爆石。
「人間の過去が未来へと受け継がれる可能性と条件について、美術の側から問おうとする試み」だそうです。

今まさに原爆投下に対して、「しょうがない」なんて言う政治家が出てきています。広島の石から写し取られたフロッタージュが、少しでも過去を受け継いでほしいものです。(2007.7.3)


夏秋独り言 36  延暦寺西塔宝幢院梵鐘
(国宝)拓本

12 13 14 寺院にとって時を告げる梵鐘は無くてはならないものです。しかし、平安時代の天安二年(858)の銘文がある延暦寺西塔宝幢院のこの鐘は、993年に延暦寺の紛争から、京都市内の大雲寺に移されました。
その大雲寺は幾多の災害に遭いながら今日まで岩倉の地にありますが、明治以降国宝に指定されたこの鐘は、お寺から消えてしまいました。
それが1980年代の京都の観光税問題の紛糾途中に突然現われ、どうも売買されたらしく問題となり、京都国立博物館に一時保管されました。
そして現在なんと佐川急便の創った佐川美術館に買い取られ、展示されています。鐘の写真と鐘の中の写真は佐川美術館のものです。鐘の音も聞けますのでご覧ください。
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/
さて拓本の話です。拓本の上部は鐘を撞く「撞き座」と呼ばれている場所の拓本です。写真では下の方にある丸い部分です。
下にあるのが銘文です。鐘の内側に左文字(裏文字)で浮かし彫りで鋳込まれています。これは表から心眼で見ればまともに見えることをねらったもので、多分世界で一つしかないものではないでしょうか。
そこで現代の心眼パソコンを使って反転させました。これは多分この拓本については初めての試みだと思います。
(2000年8月「拓本ギャラリー」でもこの話は書きましたが、佐川美術館に納められたことを知って再度登場させました。)
(2006.8.9)

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夏秋独り言 35  葉拓

16 17 18 中国で生まれた拓本は、石に刻まれた文字を写し取るための技法でありましたが、江戸時代日本に入った拓本の技術を植物学や絵画に応用したのが葉拓であります。葉の裏の葉脈を写し取れば、写生するよりはるかに実物の葉を忠実に写し取れることがわかったのです。また拓本をとってそれに着色する葉拓画も生まれました。
滋賀県は浮御堂近くの池で取れた大きな蓮を、和紙に挟んで10日位圧縮乾燥します。
葉の裏は葉脈がくっきり出ているので綺麗に取れます。
3月28日から4月2日まで東京銀座の「洗山・夏秋展」ではこの巨大な蓮の葉拓3点と蔦の葉拓2点を出展しました。
(2006.4.12)
葉拓(蓮2葉) 葉の裏 蓮の葉


夏秋独り言 34  隼人石拓本

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今年は戌年、でもこれは子(ネズミ)です。奈良市の北の丘陵地帯は天皇陵が多くある中、那冨山墓は異色な存在です。それは四方を隼人石と呼ばれる碑が建っているからです。これは中国から朝鮮を通って日本に入ってきた十二干を墓の守り神とした思想の珍しい古代の例だからです。現在は宮内庁の管轄なので、見ることもできないのが残念です。この墓には聖武天皇皇子が祀られています。藤原光明氏を母として神亀4年(728)閏9月29日に誕生しましたが、生後わずか33日で皇太子となり、国を挙げての祝福行事がとりおこなわれたが、翌年の9月、満1歳にも満たず病没されています。生まれてまもなく亡くなった皇子にふさわしい可愛い守り神ではありませんか。何時ごろ彫られたのかは判りませんが、キトラ古墳や韓国のものと比較すると結構古くに作られたのではないでしょうか。中には稲荷神社の本尊として祭られた石もあって、四支が揃ったのは明治以降といわれています。
石そのものの画像は目視しにくいものだそうですが、拓本はその姿を余すところ無く伝えてくれます。
なお十二干支については「掛軸と屏風」HPもご覧ください。(2006.2.1)








夏秋独り言 33  井真成拓本 

20 21 22
一昨年西安で発見された遣唐使であった井真成の墓誌の発見には驚かされました。それが去年日本に里帰りして、夏から秋にかけて東京、奈良国立博物館で展示されました。仕事で出られなくって、代わりに拓本手に入りました。まず興味深かったことは墓誌には蓋があったということと、蓋は碑の題が書かれた碑額と同様、、篆書で彫られ、墓誌は楷書で彫られていることです。墓誌はやはり立碑の役割を果たしていたのですね。(写真は「遣唐使と唐の美術」朝日新聞社刊)2006.1.1


夏秋独り言 32  モンゴルの碑拓本 

23大相撲九州場所優勝の平成の大横綱朝青龍、もちろんモンゴル出身、そのモンゴルでとられた拓本です。これを含め二年前、大阪大学からモンゴルの拓本120枚以上の裏打を依頼され収めました。
モンゴル高原には6世紀には突厥、8世紀にはウイグル、13世紀にはモンゴル帝国が興り、モンゴル帝国にいたってはほとんど世界を征服したといってもいい大帝国を築いています。この遊牧騎馬民族がモンゴル高原に残した、遺跡、碑文は20世紀初頭ソビエトが調査した不完全なものしかありませんでした。それを大阪大学大学院文学研究科・森安孝夫教授を中心に国際学術研究の一環として、現地に赴き、調査・研究されました。拓本はそのとき採拓された貴重なものです。拓本についたわずかな土からモンゴル高原を、それもジンギスカンの通った土地を思い浮かべて、ロマンを感じながら、2メートルもある拓本から半紙大まで裏打しました。
頂いた調査報告書「突厥・ウイグル・モンゴル帝国時代の碑文及び遺跡に関する歴史学・文献学的調査」の行動記録は映画インディージョーンズが思い浮かべられるほど面白い内容です。でも採られた拓本の文字から、砂漠の中の宮殿が見つかった訳ですから素晴らしい仕事をされ、その一端のわずかでも役に立てたことはうれしい限りです。近代化されていくモンゴル、遺跡は消えていくかも判りませんが、採られた拓本は多分残っていくと思います。
(2005.12.1)


夏秋独り言 31 頭塔石仏拓本

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奈良市高畑町に頭塔(ずとう)と呼ばれる国の史跡があります。八世紀藤原広嗣の霊に取りつかれ亡くなった僧玄昉の首が飛んで落ちた伝説から頭塔とよばれましたが、実際は767年東大寺僧実忠により建てられた土塔です。近年は整備されて、いかにも史跡らしくなりましたが、それまではこんもりした森で、いかにも首が飛んできそうな場所ではありました。それよりもこの土塔は日本にあまり類をみないピラミッド形式の建造物です。釈迦入滅後インド各地に釈迦の遺骨を安置するストウパと呼ばれる石塔がたてられましたが、中国から日本に伝わった仏教寺院では木造の五重塔に安置されます。そして南方に広がった仏教ではボロブドールにみられるようなピラミッド形式の建造物に安置されました。この形式が日本に伝わったのがこの頭塔で、東南アジアからの仏教伝播の一つの証明だと思われます。この頭塔には十幾つの石仏が取り囲んでいます。
さて30年ほどまえ大和郡山城の石垣の間に転用材として使われている一つの石仏が見つかり、拓本に採ると、頭塔の石仏だったのです。石と石の間の狭い空間から苦心のすえ採られた拓本です。首が飛んできたように、石仏がお城を守るため、飛んで行ったのでしょうか。その阿弥陀三尊像もやっと今拓本という形で日の目を見ました。
僧玄昉は吉備真備や阿部仲麻呂等とともに716年遣唐使として派遣され、玄宗皇帝から紫の袈裟を賜ったほどの優秀な僧でありました。17年後帰国し、天平時代という輝かし時代を吉備真備らとともに作っていくわけですが、改革に対する抵抗や妬みから、大宰府の観世音寺落慶法要中亡くなります。これはそれ以前に左遷された藤原広嗣の怨霊のしわざであるとされ、平家物語では雷が玄昉に落ち、首が奈良まで飛んだとあります。藤原広嗣も立派な武人でありましたが、時代に翻弄されたのでしょうか。
最近中国で発見され、ついこの前日本に里帰りした墓碑の井真成も玄昉に会っているでしょうね。
(2005.11.1)

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夏秋独り言 30  藤原定方碑

京都山科日野にあるこの碑は藤原定方の墓碑。定方は百人一首では三条右大臣として「なにしおははあふ坂山のさねかつら 人にしられて来るよしも哉」を歌った貴族で歌人であった人、貞観十五年(873)に生まれ承平2(932)59歳で亡くなりました。娘は醍醐天皇に嫁いでいるわけですから権力の中枢にいたのでしょう。紀貫之などが輩出したサロン文化全盛の時代でもありました。
さてこの碑は中国の漢碑の姿を残している日本ではあまり見かけなくなった貴重なものです。漢代の碑は趺と呼ばれる台石の上に碑身が立ち、碑身上部には題額、またその上には暈が彫られています。定方の碑では趺は亀趺と呼ばれる亀の形です。高さ約2mと大きなものです。碑の下部にひび割れが何時のころから現れ、碑面が浮いています。このまま置いておけないのでということで、研究者から採拓依頼を受けました。頃は今年1月早々晴天の日に参りましたが、山陰に位置する碑は苔がびっしりついて掃除をしたいのですが凍って石が割れるのも困りますので、そのまま採拓しました。また割れているところはなでるように採りました。絶えず山を回る風と近くの犬の絶え間ない吼声で、結果としてはあまり満足いけるものは出来ませんでした。ところであのあたりにさねかつらはあったのかしら。
(2005.9.1)
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夏秋独り言 29 高台寺梵鐘拓本


京都東山の高台寺は豊臣秀吉の妻、北政所ねねの菩提寺であり、傘亭、時雨亭という重文の茶室もあり、多くの方が訪れます。さてこのお寺の入ったところに重要文化財の梵鐘がありますが、だれも気づかずに通り過ぎていきます。5年前縁があってこの梵鐘の拓本を採らせていただきました。梵鐘はねねの兄が寄進したもので、慶長11年(1606)の銘から創建当時からあったものです。銘は高台寺開山の曹洞宗の弓葴善疆が記したもので、いままで記録として取り上げられていますが、きちっと拓本にして残したのは今回初めてとのこと、拓本家としてはこんな名誉なことはありません。また有難いことに、軸にしてお納めした拓本を永平寺の第78代の宮崎奕保貫首にご覧戴いたことです。ご承知のように貫主は105歳の禅の最高指導者です。高台寺に行かれたら、ちょっと横の釣鐘堂を覗いてください。(2005.8.1)
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夏秋独り言 28 東大寺大仏殿八角灯篭竿拓本


仏教経典を記録展示する方法としていろいろありますが、石に刻む石経や摩崖碑など、ここでは大仏殿を照らす灯篭の竿部分に刻まれています。火袋には天平の美の真髄といわれる音声菩薩が四体透かし彫りされていて有名ですが、竿の部分に経典が彫られていることなどほとんどの人はご存じないと思います。しかし古代の日本の書を知る上でも貴重なものです。大仏殿修復の際採拓しましたが、暗がりの中で採ったものですから惜しむらく一部分採り忘れてしまいました。返す返すも残念なことです。(東大寺に収めたものは全部ありました)
内容は上段に「菩薩本行経」下段に「施燈功徳経」等が彫られています。金属に線彫りされていますが1300年の風雪が金属といえども相当痛めています。 たぶん文字は目視でもレンズを通しても見えにくいのではないでしょうか。

拓本は六曲屏風(二枚無いので八曲屏風ではありません)にし、4月12日~17日まで東京銀座鳩居堂で開催しました藪田夏秋の個展「夏拓秋装展ⅲ」で展示いたしました。(2005.5.5)
棟方志功鐘拓本
夏秋独り言 27 棟方志功鐘


1月10日初採拓で山科の江戸期の碑の拓本を採りに行きました。快晴で比較的にあったかく、拓本日和だと思ったのですが、碑のある場所は山麓で北面、花活けの水も凍った状態で、冷風が吹きすさんでいます。折角来たのだからと採り始め、やっと採り終え、剥がす段になって剥がせません。碑にきっちり凍り付いているのです。もっていった魔法瓶のお湯をかけてやっとはずしましたがボロボロ!大失敗の初拓となりました。それで思い出したのが20数年前、愛知県鳳来山寺の釣鐘、棟方志功の観音と十二神将が鋳込んであるものです。仲間の数人が先駆けして早朝暗いうちから採り始めたのですが、何分秋といえ山上、気がついたら凍っていたそうです。日が昇るまで外せなかったというエピソード。雨でにじんだり、風で破れたり、日光で剥がれたり、なかなか大変、それがまたやりがいのあるのが拓本です。(2005.2.20)
阿部仲麻呂拓本
夏秋独り言 26 井 真成

「もう一人の阿倍仲麻呂!遣唐使の墓誌発見」と10月11日の朝日新聞一面に報道されました。記事では、西安の博物館で入手された墓誌に、遣唐使として派遣された日本人の井というひとが36歳で病死、玄宗皇帝が死を惜しんだとあります。この時代の日本人の墓誌が発見されたのは初めてだそうです。玄宗皇帝といえばかの楊貴妃を寵愛した皇帝、その時代に皇帝に仕えた日本人がいたことも珍しいのに、1200年以上も経ったいま、その墓誌が見つかるのも不思議!中国には後代のいつの時か建てられた阿倍仲麻呂の画像碑があり、現在拓本が手に入ります。それよりもはるかに貴重な墓誌の拓本(記事中の写真では墓誌に紙が貼られ拓本した状態が写っています)から解読された文章、やはり望郷の思いの中で亡くなったのでしょうか。中国には何千と古代の墓誌があり、その拓本もあまたあります。私も朱でとった拓本を持っております。朱拓は碑を刻んだ最初に採るもので特に貴重です。墓誌は古代の様子がいろいろわかるデータCDのようなものです。これからもヒョッコリ地中から顔を出すかもわかりません。期待しています。(04/11/05)
井真成拓本
道元碑拓本1 道元碑拓本2
夏秋独り言 25 只管打坐


「只管打坐」(しかんたざ)は日本の曹洞宗開祖 道元禅師の言葉でひたすら座禅せよという意味だそうですが、今でも通じる中国語で「すわっとれ」だそうです。でーなんですが、私も渡し板に座って採拓、なんてこともできず、去年4月の暑い日全身汗だらけで、墨を打ちました。
 この碑は鎌倉の鶴岡八幡宮の傍にあり、高祖道元禅師七百五十回大遠忌を記念して、平成十四年建立、高さ5.3メートル、幅1.35メートルの巨碑、書は永平寺78世宮崎奕保師、104歳の高齢でNHKの番組でお見かけしましたが、今も座禅をされます。このたび曹洞宗の管長に再びなられました。
さて採拓は最初何とかできるだろうと安易な気持ちで取り掛かりましたが、碑があまりにも大きく、山際にあるため、風が舞い、かんかん照りで、足場を組んだ周りをテントで囲んで、数人に手伝ってもらい、やっとの思いで採り終えたときは放心状態でした。これも修行か?
紙は6尺二双夾宣を7枚、水に拓本用弱粘糊(CMC)を入れて水張り、周りは建築用テープで止めて採拓。結果は次のホームページをご覧ください。
 (04/10/5)
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夏秋独り言 24 清田コレクション拓本展


日本拓本研究会初期からの会員であった九州の清田義雄さんが寄贈された拓本を10月9日に展示されるとともに、講演が行われます。この大分県玖珠町にある「わらべの館」は世界最大の童話碑があるとのこと。毎年5月5日には童話祭が開かれます。福岡教育大学名誉教授であった清田さんは拓本以外に郷土玩具や民芸品の収集家としても著名、それらのコレクションも展示されています。(04.9.21)
   
   平成16年10月9日(土)9:40~10日(日)16:00 講演は9日13:00
   大分県玖珠町大字森868-2 玖珠町わらべの館  日本拓本研究会も後援
       http://www.town.kusu.oita.jp/koukyou/warabe/
某碑
夏秋独り言 23 真夏の採拓

なんと暑い夏でしょう。その中でももっとも暑い7月下旬の東京で採拓しました。前日からの日照りで碑はほてっており、画仙紙を張り、スプレーで水張りしてもすぐ乾いてしまいます。焼け石に水とはこのことです。やっと張り終え、墨をタンポにつけ叩く時には、もう乾ききっています。再び霧をかけ、やっとの思いで採拓、精拓には不向きな天候でした。途中碑のそばの樹木の巣からヒナが暑さでか落ちてきました。むかし中国の南京に真夏行ったとき、ここは飛ぶ鳥も落ちる土地だといわれたのを思い出しました。落ちたヒナにスプレーで水をかけてやり、自分にも水をぶっかけ採拓を終えました。(04.8.1)
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夏秋独り言 22 大唐三蔵聖教之序


「拓本」と銘打って東京国立博物館、三井文庫、書道博物館同時開催の中国拓本名品展が奇しくも日本拓本展開催中に行われたことは特筆すべきことであります。われわれ小さな会のことはマスコミには取り上げられませんでしたが、三館の展示は話題を呼び多くの人がご覧になったと思います。私もこちらの展覧会終了後、三井、書博はかって見たことがあるので東博のみ鑑賞しました。王羲之の蘭亭序の宋拓と明拓が出ていたこと、二十年前文化大革命後のまだ混乱の残る中国の、孔子の生まれた曲阜で見たと思われる?孔廟礼器碑の拓本が出ていたことに感激しました。思われる?と書いたのは当時文革後曲阜に最初に入った日本人であり、拓本が取れるということで道具一切を持参で行ったのに拓本どころか、写真も取れないことになり、目でしっかり覚えておこうとしたのですが、ずらっと並んだ漢碑の素晴らしさに圧倒され記憶に定かでないからです。ちなみに全景を一枚だけ撮れるということで、一緒に行った榊莫山氏がシャターを押されました。また成瀬映山氏も参加されました。
さて東博には楷書の最高峰といわれる猪遂良(猪は衣偏がありません)の雁塔聖教序の宋拓も展示してありました。私は摸刻(時代不明)の拓本を所有しておりますが、書道の本では無視されている額の部分をここに載せます。拓本の採り方も大雑把でタンポむらがあるのは逆にほほえましい拓本です。(04.6.5) 
芭蕉拓本
夏秋独り言 21 拓本満開の5月


第22回日本拓本展と第8回ひょうほえ展を東京目黒区美術館で5月5日から9日まで開催します。日本拓本展は関西と東京で交互に開かれ、長い間日本の拓本界をリードしてきました。ベテランぞろいの出品者が各地の歌碑や句碑、石仏から採られた拓本を展示します。拓本は杉山杉風句碑(東京巣鴨真性寺) 藪田夏秋
目黒区美術館
 http://www.mmat.jp
なお4月3日から5月30日まで、東京の有名な中国拓本を所蔵している三館が名品を同時に開催します。書道家や美術愛好家にとっては素晴らしい企画です。拓本ツアーに日本拓本展を加えてください。(04.3.20)

三井文庫別館 http://www.mitsui-bunko.or.jp
東京国立博物館 http://www.tnm.jp
書道博物館 http://www.taitocity.net/taito/shodou/
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Before

夏秋独り言 20 拓本の裏打

学生時代から拓本を始め、その裏打から表具の世界に入った私ですが、大きさといい、形といい、一つとして同じでない拓本を裏打する難しさを未だに実感しています。拓本を採る人の少しでもお役に立てればと、22年ロングセラーを続けてきた「裏打のすすめ」の改定増補版を今回出版し、拓本の特殊な裏打の方法を載せました。ぜひご覧下さい。(04.2.18)詳細→綜芸舎
http://www.ne.jp/asahi/kasyu/taku
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夏秋独り言 19 いわ猿&きか猿


明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
「もし もーし!」&「はい はーい」今年も携帯電話の年かな?で、携帯電話にもホームページを作ります。その節はよろしく。
拓本は信州山形村の軍荼利明王像石仏のお付きの猿。三猿の見猿はホームページを見ていただきたいので載せませんでした。ゴメンネみざるさん。(04.1.1)
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夏秋独り言 18 アンコールワット拓本展


この拓本は今年5月の東京鳩居堂での展覧会の本紙です。第二次大戦以前に採られた拓本です。ところで12月9日から来年1月12日まで京都文化博物館でアンコールワット拓本展が開催されます。これはアンコールワット保存会が数年前採拓さらた拓本の展示です。代表の道浦摂陵氏は、実は私が朝日カルチャーセンターで講師になったとき、最初に拓本の実技を教えた生徒さんでした。とっても熱心に受講されたことを覚えています。(03.12.1)
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夏秋独り言 17 伊東市文学碑拓本コンクールについて

平成9年より始まった 当コンクールも今年で4回目を迎え、7月13日におこなわれた表彰式の末席を汚し一言。このコンクールには1回目より日本拓本研究会も協賛していましたが、日本拓本研究会本部長の私は始めて式に出るとともに、展示された出品作も拝見、なかなか力作ぞろいに感心しましたが、何か出来すぎで、初めての人は出しにくいのでないかと危惧しました。初回からの出品者を見ると随分日本拓本研究会の会員もおられ協賛の成果があったと喜んでいます。私はといえば、表装教室の生徒を引き連れて平成十年に採っているのですが、すでにその年のコンクールは終わっていました。そのおり当コンクールの審査員長の本山ちえさんには大変お世話になりました。写真は右より審査員の小峰一寿さん、本山ちえさん、白井研一さんと第1回大賞の飯沼敦さん。今年大賞の和田喜治さんの受賞作の前で。(03.8.8)
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夏秋独り言 16 青銅器鐘
 掛軸は夏拓秋装ⅲをご覧下さい。

03年5月東京銀座鳩居堂で開催しました夏秋・洗山展は多くの方に見ていただき、無事終わりました。拓本と和装本という、余り接点のない作品の展示でしたが、拓本を知らない方々にもお見せできたのはとっても良かったことだと思います。そのなかで特に左の拓本は、知らない方は写真ではないか、拓本をご存知の方は印刷ではないかと思われました。
この拓本は中国故宮の所蔵品の実拓で、採拓技術の素晴らしい見本といえます。この器物の精拓の方法は綜芸舎発行の「拓本の作り方」(馬子雲著・藪田嘉一郎訳。現在品切)に詳細に述べています。
簡単にいえば、一枚の紙でとる方法と何枚かの紙で分けてとる方法があり、いずれも採る前に図面を引き、注意深く採らねばならないとあります。日本ではこういった採り方が出来る方はいないのではないでしょうか。機会があれば挑戦したいものです。(03.6.20)
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夏秋独り言 15
 書籍紹介

漢字のルーツ「古代文字字典」(甲骨・金文編)城南山人編 マール社発行。定価2,000円。
城南山人・楠木美樹君は30年来の友人であり、唯一仲人をした書家で、陶芸家であった人です。過去形にしたのは現在は文字研究家として、学究を推し進めているからです。何冊かの本を上棹されていますが、これは一番新しい本です。書家でない私ではありますが眺めていても楽しい、内容のぎっしり詰まった素敵な本です。例えば夏は蟷螂、秋は蟻のようです。よく遊んで、しっかり働けということを古代人が教えてくれています。(03.3.3)
http://www1.odn.ne.jp/j-kingdam

夏秋独り言 14 新年の決意

昨年はこのホームページを通じて何件かの拓本の依頼が舞い込み、それなりに頑張りました。今年も拓本を通してなにか役立てたらと思います。(2003.1.1)

夏秋独り言 13 拓本の講習 

最近ある市の文化講座で拓本の指導を始めました。ほとんどが中年から熟年に掛けての男女です。別のところの大学では拓本を若者に教えていますが、熟年グループは言ったことをきちっと守って採拓してくれます。若者グループは、ときどき無茶な採り方をして喜んでいます。
文化財を守るには熟年のいき方を、個性を伸ばし芸術的な拓本を目指すなら若年を・・うまくミックスできたらいいのですが。 (02.10.16)
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夏秋独り言 12.訪ね碑?
 

知人が左の拓本を所有しているのですが、碑は奈良のどこにあるか知りたいそうです。左端に 鐡斎外史書 とあります。ご存知の方はメールください
。 kasyu@takuhon.com
拓本・アンコールワット
夏秋独り言 11 夏拓秋装展ⅱ
 

もう春ですよ。フインランド帰国後、私が主催する日本表装研究会の「ひょうほえ展」、本部長を務める日本拓本研究会の日本拓本展、そして母の死、その間を縫っての個展作品制作、今振り返ると、良くやったな!との思いです。お正月の個展「夏拓秋装ⅱ」の成功で疲れも吹っ飛び、一足早く春ですよ。(2002.3.1)

夏秋独り言 10
. フインランドから帰国

フィンランドから帰ってまいりました。何とか無事終わり、多くの人と交流し、拓本を紹介できたことでホッとしています。詳しくはいずれこのホームページでも書いていきたいと思います。(01.9.30)

夏秋独り言 9
. 綜芸舎HPオープン

やっと綜芸舎ホームページを作り上げました。ああしんど。これで拓本ページが軽くなりましたので、これからは拓本をどしどし紹介していきます。さて8月23日渡欧いたします。国の費用が出ていますので、なんとか成果を挙げて帰ってきたいものです。こうご期待?(01.8.20)
拓本・今宮神社鯰 夏秋独り言 8 IMPACT

IMPACTは国際版画、印刷会議と翻訳しますが、もっと包括的に美術やグラフィックデザイン、写真、コンピューターまで含まれたアートとデザインの国際会議です。第一回は1999年イギリスで開催され、26カ国400人が参加しました。第二回がフインランドのヘルシンキで2001年8月29日~9月2日に開催されます。そこでこのホームページもすこし国際化?しました。(翻訳はAndrea Dewさんに手伝ってもらいました)
拓本は京都大徳寺の奥の今宮神社の片隅に鎮座する宗像神社(といっても祠)の礎石の鯰。魚拓ではありません。 (01.5.20)
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夏秋独り言 7
 フインランドへ

さて大変なことになりました。8月末に拓本のデモンストレーションのため、北欧はフインランドに国際交流で行くこととなりました。一人旅です(?)。フインランドで開催される国際会議 IMPACT に出席します。日本のインパクではありません。第2回国際版画会議です。出席者もしくはフインランドの美術系学生に拓本を教えるとともに、会場に私の拓本作品を展示します。フインランド語は勿論英語もできない私です。どうなることでしょうか。フインランドにいった方、行く方があればお教え下さい。IMPACTは次のサイトをご覧下さい。
http://www.uiah.fi/conferences/summeracad/impact/
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夏秋独り言 6 通産省

森内閣も終わろうとしています。そこで一つ。昨年東京画廊 拓に通産省から人が見えて、通産省が行政改革で経済産業省に名前が変わるので今までの看板の拓本をとってくれとの依頼、何とかとりましたが、大きすぎて飾れないので巾をまとめて小さくして表具しました。後にも先にもたった一度の処女拓で、行革で想像だにしない採拓でした。なお他の省庁はお呼びが掛かりませんでした。(01.3.1))
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夏秋独り言 5 大学で拓本指導

2001年がスタートしました。新世紀を迎えましたが何か変わりましたか。なんか相変わらずの世間と自分です。ちょっと期待したのですが。
昨年末、ある大学の講師として学生20人ほどに拓本の手ほどきをしました。若い人とあまり接する機会のない私にとっては楽しい経験でした。いまどきの学生は?との思いでしたが以外に気さくで熱心に実習しました。まあ格好は金髪、長髪、髭あり、帽子あり、携帯ありでしたが、授業には妨げなく、まーいいかとの思いでした。拓本の「た」も知らない若者に何かが伝わり、将来につながれば嬉しいことです。(2001.2.1)
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夏秋独り言 4
 拓乃会

 今年もあとわずか、追われるように21世紀を迎えます。このホームページもずいぶん手直ししました。よってギャラリーは更新できませんでした。「拓乃会」を立ち上げました。Eメールで入会受け付けます。お入りやす。なんかいいことありまっせ!(00.12.20)
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夏秋独り言 3
 吉野山

9月に吉野山に登り、40人の人に拓本を教えました。アメリカ人とカナダ人にも指導しましたので、これって国際交流?(00.10.30)(拓本は中国河南省画像石拓本)

夏秋独り言 2 四大文明展

東京近郊で行われた四大文明展を真夏の中見て回りました。圧巻はエジプト展でしたが、特に感激したのは世田谷美術館のメソポタミア美術展のハムラビ法典でした。日本の美術は木と紙と布が中心ですが、世界美術は圧倒的に石と金属の世界です。いつもそういった美術品を見るたびにこれらのものを拓本出来たらなあとかなわぬ夢を見ます。(00.9.30)

夏秋独り言 1
 但馬

淡路島の花博で8月22日から末まで但馬のイベントがあり、但馬牛の顕彰碑等の拓本八点展示します。真夏、400キロ近い道のりを二回往復し、3メートルの碑によじ登って、真っ黒に灼けて採りました。(2000.8.20)

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